今回は、嗅覚について書きたいと思います。嗅覚は、非常に量が多いので、2-3回に分けて書こうと思います。まず今回は、嗅覚とは何かを理解してください。
嗅覚
ご自分で、鼻がわるいのでは?と思うとき、嗅覚がきっかけのことが多いような気がします。庭に咲いた金木犀(きんもくせい)の花の香りが自分だけわからないとき、あれっ、と思った経験はないでしょうか。
玄関の花の匂い、食卓の料理の匂い、台所のゴミやトイレの匂いなど、良い匂いから嫌な匂いまで、匂いは日常生活に溢れています。匂いがある生活は、私たちの暮らしをより豊かにしてくれます。普段は、当たり前のことかもしれませんが。
嗅覚とは?
文字通り、匂いの感覚のことです。
もう少し専門的に言うと、
「匂い分子を感知し、正しく認知すること」
です。
匂い分子を、鼻腔の奥の嗅粘膜で感知します。
匂い分子とは?
分子量300以下の揮発性低分子有機化合物のことです。
ここで、化学のお話です。
地球上のすべての物質は原子からできています。化学の授業で習った、元素表がありましたね。H (水素) C (炭素) N (窒素) O (酸素) P (リン) S (硫黄) などなど。
生体の細胞も、血液も、臓器も、脳も、骨や筋肉も、皮膚や粘膜や髪の毛まで、じつは全部が、この原子の集まりなのです。小さすぎて何か信じられない感じですが、事実です。生体の最小単位である細胞も、その中にある遺伝子のDNA も。細胞質内にある、タンパク質やアミノ酸、DNAの塩基配列になると、初めて分子化合物がでてきますから、何となくわかります。細胞を包む細胞膜は、脂質2重層で、フォスファチジルコリンなどのリン脂質が2重に規則正しく並んでいます。
話が完全に逸れてしまいましたが、地球上に200万種類以上と言われる「低分子」有機化合物のうち、40-50万種類くらいが、「匂う」分子化合物とされています。匂うためには、揮発性でなくてはならず、分子量が大きいと重くて揮発できないからです。匂い物質は、揮発して空気中を漂う必要があり、揮発性、低分子、有機化合物でなくてはならないのです。そのため、分子量300以下になっています。実際は30-300くらいです。
匂い物質は、分子量300以下の、揮発性低分子有機化合物であること。
言いたかったのはこれだけです。
嗅覚のメカニズム
どのようにして、匂いを感じるのでしょう。
①匂い物質は、鼻腔の奥の嗅粘膜に達してそこで粘膜上を層状に覆う粘液に溶け込みます。②匂い物質は、嗅細胞から粘液中に出ている嗅毛という毛に存在する嗅覚受容体と結合します。
③嗅覚受容体の興奮が嗅細胞へ伝わり、嗅細胞から電気信号が、篩骨天蓋(鼻腔の天井と頭蓋内を分ける骨板)の隙間を通って、頭蓋内の嗅球(嗅神経の先端が太くなった部分)に伝達されます。
④嗅球の電気信号が嗅神経を通って脳幹へ伝わります。
文章で書くと、とても複雑です。図を見て理解してください。
図1 1 嗅球 2 僧帽細胞 3 篩板 4 嗅粘膜上皮 5 嗅糸球体 6 嗅覚受容細胞
(嗅覚 Wikipedia より引用)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%97%85%E8%A6%9A
嗅覚受容体
嗅覚のメカニズムには特徴があります。
ヒトの嗅覚受容体は、400種類あります。
1つの嗅細胞からでる嗅毛には1種類の嗅覚受容体しかありません。(図1 6)
図1の嗅細胞と嗅覚受容体は、赤なら赤、青なら青、緑なら緑です。
そこで、疑問です。400種類の受容体しかないなら、ヒトは400種類の匂いしか感知できないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
1つの匂い物質は、複数の嗅覚受容体を興奮させることがわかっています。例えば、オイゲノール eugenol (チョウジ油、桂皮油などに含まれる精油)という匂い物質は、45の嗅覚受容体を興奮させることが分かっています。鍵-鍵穴反応です。さらに、1つの嗅覚受容体は、複数の匂い物質に反応します。こうなると、1対1対応ではありませんので、組み合わせはほぼ無限に近くなり、非常に多くの匂い物質に対応できることになるのです。
哺乳類で嗅覚受容体遺伝子を調べた研究では、アフリカゾウ1948個、マウス1130個、イヌ811個、ヒト396個との結果が報告されています。(2014年 東京大学)
ヒトの嗅覚受容体の総数は、4000万個です。400種類ですから、1種類の受容体あたり10万個の嗅覚受容体が嗅粘膜上皮に分布していることになります。
さらに、同じ1種類の嗅覚受容体は、すべて嗅球(1)の同じ糸球体(5)に集まります。図1で、青、赤、緑色の糸球体は、それぞれ1種類の嗅覚受容体のみが集まっています。糸球体の電気信号は、すぐ横にある僧帽細胞(2)にまとめられ、400種類のどの嗅覚受容体が興奮したかが電気信号のネットワークとして嗅神経から大脳へ伝達されます。大脳で嗅覚情報を処理するところは、大脳辺縁系の一部です。嗅細胞の寿命は40日と言われ、再生を繰り返していると言われます。
さらに、嗅覚には、嗅覚疲労という現象があります。同じ匂いを続けて嗅ぎ続けると、僅か数分で匂いに対する感度が著しく低下します。
ものすごく複雑で難解な、基礎医学の話になりました。しかし、この重要な嗅覚のメカニズムを知らないと、嗅覚についての理解は中途半端になってしまいます。この項に書いたことは、実はまだ新しく、1991年にコロンビア大学のRichard Axel 博士と、フレッドハッチンソンがん研究所のLinda Buck 博士が、米国Cell誌に発表した画期的な論文が世界初なのです。それまでは、立体化学説、膜吸着説、粒子説、分子振動説など、さまざまな説が提唱されましたが、どれも嗅覚の本当のメカニズムを解明することはできなかったのです。
Richard Axel 博士とLinda Buck 博士は、この研究で、2004年ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
嗅覚 -その2- へ
嗅覚の基礎的なメカニズムがわかりました。やっと臨床的な話です。これから、嗅覚障害の話題に移りたいと思いますが、今回はかなり長くなったので、次の機会にしたいと思います。 (嗅覚 -その2- へ続きます)